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高校放送班 読売新聞に取材される

2017.09.14

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2017年8月14日発行の読売新聞に「最後の屋台 女子高生取材」と題して記事が掲載されました。本校高校生が、50年ほど前からJR仙台駅で移動式屋台を営む店主に取材し、ラジオ作品を制作したことが取り上げられています。(以下、新聞記事より抜粋)

 

最後の屋台 女子高生取材「消えゆく仙台文化残す」

JR仙台駅近くの青葉通沿いで営まれる県内唯一で最後の移動式屋台「大分軒」を女子高生3人が取材、制作したラジオドキュメンタリーが、7月下旬の全国大会に出品された。開発が進む駅前の風景とは対照的に、ビルの谷間で息づく昭和の香り漂う屋台を紹介した力作で、3人は「消えゆく仙台の文化を形に残したかった」と語る。

取材したのは宮城学院女子高2年で、放送班員のAさん(17)、Bさん(16)、Cさん(17)。NHK杯全国高校放送コンテストのラジオドキュメント部門に応募する作品のテーマについて、Aさんが家族に相談すると、「大分軒は?」と提案されたのがきっかけだった。

おでんやラーメンを提供する大分軒は大分県出身の店主内田菊治さん(84)が1964年に創業した。夕暮れ、赤ちょうちんに明かりがともると続々と仕事帰りの会社員がのれんをくぐり、10人でいっぱいになる店内はコップ酒を傾ける常連客の笑い声でにぎわう。屋台の近くで生まれ育ったAさんは、幼い頃から鍋を手に母親とおでんを買っていた。

公道を占有する屋台は県や市が1965年に定めた露店飲食店処理要項で一代限りとされる。道路管理や衛生上の理由からという。内田さんが開業した頃は約40軒あった屋台も、許可を持つのは大分軒のみに。内田さんも80歳代となり毎日店を開くのは体力的に厳しく、今では週に数回の営業だ。「消えゆく屋台文化を記録に残さないと」と、市外出身で屋台になじみのないBさんとCさんも快諾した。

青葉通のケヤキの新緑がまぶしい5月初旬の夕方に取材は実現し、「どんな思いで続けているんですか」と内田さんにマイクを向けた。「(常連客が)毎日出ないでも何日にか1回出てくれって。みんなさみしがるしさ」「今は隣に住む人が何しているかも分からない。ここに来るとしゃべれる。それがおじさんの生きがい」。照れながらも、ぽつりぽつりと語ってくれた。

カウンターの常連も「なくなったら文化が終わっちゃう」と熱弁。1時間の取材後、内田さんは、ちくわとニラ玉のおでんをサービスしてくれた。素朴な味と人情が身にしみた。

6分47秒の作品は6月初旬に完成。丹念な取材が評価され、同月下旬の県大会で3位に輝いた。7月下旬に東京で開かれた全国大会では、1回戦にあたる準々決勝止まりだったが、3人は満足げだ。見知らぬ客同士が杯を交わし、打ち解け合う。そんな大人の世界ものぞいた。

「仙台の古き良き文化が失われようとしています。文化をどのようにして大切にしなければならないのか。内田さんの屋台が私たちに問いかけています」。作品の最後のナレーションに込めた思いだ。

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